全校の半数---「アピール署名」の広がりに運動の手ごたえ感じ


 堀内さんの家では、テレビよりもレコードプレーヤーが活躍していました。お母さんがサイモンとガーファンクルなど洋楽をよくかけていました。堀内さんも中学生になると、その影響か、ギターを弾き始めビートルズに夢中になりました。週末は中古レコード屋を回り、ビートルズのレコードを探しました。ちょうどそのころレコードの輸入を仕事にしていたお祖父さんが、これを聞き、イギリスで公式発売されてたビートルズの全LP・EPレコードをプレゼントしてくれました。これはいつまでも堀内さんの宝物です。
 中学校では、ソーダやヨーグルトづくりがおいしそうだと理科部所属したことも。

 学童保育所で走り回っていた堀内さん、高校になると再びスポーツを始めます。硬式テニス部に入りました。もっとも二面しかないコートを硬式・軟式、それぞれ男女の部で共有していたので時にはコートに五、六十人がひしめいて練習していたこともあり、公式試合で成績をあげるのではなく、「楽しむ」テニスに徹していました。

 もちろん民青同盟にも入りました。高二の時は、「アピール署名」を集めて原水禁大会に参加しようと班で決め、思い切ってクラスで署名を呼びかけてみました。すると運動部のマネージャーたちがそれぞれの部で集めてくれるなど、どんどん広がりました。授業中に署名用紙を回していると、見つけた先生まで「おれたちも集めているぞ」と協力。全校生徒の約半分・七百筆の署名が集まり、平和運動への確信を強めました。

 思春期を通じ特に反抗期もないのをかえって両親が心配している間に、「神戸が大好き。神戸大学しかない」とひとりで受験手続をし、文学部哲学科に入学。神戸にやってきました。(つづく)

《「兵庫民報」連載記事より》