尼崎にて三線を弾く
 今日は、朝から5年前におこったJR尼崎事故現場へ。こくた恵二衆院議員、宮本たけし衆院議員、庄本えつ子兵庫8区国政対策責任者、よしむらたまみ尼崎市議らとともに献花。改めて犠牲者への追悼とご遺族へのお見舞いを申し上げるとともに、公共交通機関として安全を守るべくJRの責任を厳しく問い、同時に規制緩和で安全をないがしろにした政治の責任も追及していきたいと思います。
 その後、尼崎民商などが主催する「元気まつり」へ。同じく兵庫民商などが主催する「元気まつり」にも顔を出し、姫路・入江次郎市議地域の春のつどいに参加。
 とって返して神戸に戻り、普天間基地の撤去・県内移設反対をかかげる沖縄県民大会と連帯する宣伝行動をおこないました。
 今日は、沖縄で普天間基地の撤去・県内移設反対をもとめる県民大会がおこなわれました。私もこの大会に連帯して、黄色のスカーフを身につけ、尼崎と姫路では、三線片手に八重山民謡なども披露。


 沖縄の県民大会には、県知事も含め、9万3千人もの人が参加。県議会の全会派がよびかけた超党派、文字通りの島ぐるみの闘争に発展しています。
 もはや基地の県内たらいまわしは許されません。
 先週は、移設先の一つとされている奄美・徳之島で人口の6割を超える1万5千人の大集会が成功しています。これで「県外移設」も困難であることが示されました。それもそうです。普天間の耐えがたい痛みは、日本全国のどこにもっていこうが受け入れがたい痛みです。「移設先さがし」をする鳩山政権の路線は完全に破たん、もはや、普天間基地は無条件閉鎖・撤去をアメリカに強く迫るしか道はありません。


 街頭から訴えていても、変化を感じます。この問題がクローズアップされた当初は、鳩山政権の右往左往ぶりに批判はあったものの、“基地の無条件撤去は難しいのでは?”といった雰囲気がありましたが、今日は若い人も、私たちの訴えに足を止め、耳を傾け、うなづいたり、署名をしていく姿が目立ちました。情勢の進展のなかでもはや移設先はどこにもないことが明らかになるとともに、アメリカにモノが言えない政府の態度に嫌気をさしているといった感じがみてとれます。


 とりわけ、日本共産党の志位委員長がこの間、ルース駐日米大使や鳩山首相に普天間基地の無条件返還を強く迫ったことを紹介したときと、「もともと沖縄返還も、条約上不可能だった大きな壁を、島ぐるみのたたかいと本土の連帯したたたかいで突き破り実現した。いまこそ、鳩山首相に歴史的決断を迫ろう」と訴えたときには多くの人から注目され、手振りや拍手、ガッツポーズまで。
 かつてベトナム戦争時には米軍の一大出撃基地だった神戸ですが、1974年に神戸港第6突堤を返還させ、90年代には六甲山頂から通信基地を撤去させ、いまや一つも米軍基地はありません。本土、神戸から、基地撤去の連帯の声をしっかりとあげていきたいと思います。