竹富島のコンドイビーチにて
 こう書くと何か調査活動のようですが、実は、9月12日から18日の予定で夏休みをいただき、家族で4年ぶりの八重山旅行に行ってきたのです(4年前)。「予定で」と書いたのは、台風の影響で滞在が一日延び、19日までのぜいたくな7泊8日となったからです。
 高波のため、船が欠航となり、予定していた鳩間島には渡れず、大幅な予定変更を余儀なくされましたが、天気はおおむね晴れ。子どもたちは海で遊んだり、また現地で「いしがき女性9条の会」の方と出会い教科書問題などについて語り合う、さらには地元の共産党支部の方ともゆんたく(おしゃべり)したり、そして滞在が延びたおかげで18日には地元の小学校の運動会に参加したりとなかなかディープな旅となりました。
 24時間×8日間とこんなに子どもたちとべったり一緒に行動するのは、もう後にも先にもないでしょう。いいリフレッシュになりました。
 「続きを読む」に簡単な旅日記と写真を掲載します。
○12日
 空路で石垣へ。この日は、石垣港近くの「ペンションぱいらんど」で一泊。
 ちょうど3歳の男の子がいて、子どもらはさっそく仲良しに。琉神マブヤーのDVDを見せてもらってました。
マブヤーのポスター
 これがいま沖縄で流行ってるマブヤーです。
 子どもらが寝てしばらくしてから、宿の女将さんがなにやら携帯電話で話をはじめました。聞けば、今から安里勇さんが来てくれるというのです。安里さんは、有名な民謡酒場「安里屋」のステージで歌い、CDなども出している方です。客は、私一人。安里さんのお連れが2人おられましたが、宿のテーブルを囲んで5人ほどで、泡盛をいただきながら、安里さんの島唄を聴く、このうえもなく贅沢な機会に恵まれました(妻は子どもを寝かしつけ、起こしても起きませんでした…)。

○13日
 朝から鳩間島行きの船の欠航が決まり、急遽、竹富島へ。
 ついて早速ビーチへ(コンドイビーチへ)。天気は少し悪いものの、子どもらは大はしゃぎでした。
仲盛荘
 宿はブーゲンビリアのきれいな「仲盛荘」。もともと後半に宿泊の予約をしていましたが、無理を言って変更してもらいました。子どもらは、猫の「にゃんじ」と戯れ、寝かしつけた後は、おじぃの唄・三線で同宿のみんなとゆんたく。

○14日
竹富島の街並み
 朝起きてまずは散歩。竹富島は昼間は観光客が非常に多い島ですが、朝一番の静かな島の時間はとても、ゆっくりしていてきれいなものでした。
 この日はいい天気で朝からビーチへ。天気もいいので海の色も、これぞ八重山の海という色でした。
海に入る前にパチリ
 午前は海を満喫して、午後はご飯(有名な「竹の子」さんでそばをいただきました)やデザートを食べたり、洗濯したり、昼寝をさせたり、で過ぎていく。
 常連さんがこの日から宿泊とのことで、ヤシガニをとってきておりました。
 もう一泊すれば食べることができたかも…と思いつつ、次の日、宿を後にしました。

○15日
コンドイビーチ
 この日も快晴で、朝からビーチへ行き遊んで、午後から船で石垣島に戻りました。レンタカーで北部の明石(あかいし)集落へ。この日からの宿は、「月桃の宿あかいし」。
 ちょうど台風が、帰る予定の18日に沖縄本島直撃との予報。場合によっては17日から飛行機の欠航も考えられることから、あわてて16日への変更の連絡をと思いましたが、明石は私が使っている携帯電話の電波が圏外。宿の電話を借りて、電話をかけるも、すでに満席。とりあえず、19日の便へと変更することに。
 この明石で「いしがき女性9条の会」の方と出会いました。

○16日
川平湾
 台風が近づいているものの、沖縄本島付近とは違い、石垣地方は晴れ。子どもらが、海遊びに飽きたようなので、ドライブも兼ねて、川平湾へ。グラスボートから珊瑚や魚を見ました。御神崎や底地ビーチ、吹通川のマングローブなどの景勝を楽しんで宿へ。
 この日の晩は、9条の会の方が、明石の共産党支部の方に、私のことを伝えてくださり、お二人が見えられ、宿でゆんたく。お一人は、沖縄人民党時代からの闘志で、共産党への合流大会にも参加をされ、宮本顕治さんと握手をしたといいます。明石は、戦後、本島で米軍に土地を接収された方などが、移住して開拓してきた地域です。八重山にありながら、独特の文化も育んでいます。八重山にはあまりないエイサーが盛んなのもそのひとつでしょう。貴重なお話を伺えました。
御神崎

○17日
玉取崎から石垣島北部を望む
 この日もいい天気。でも、テレビの天気予報をみて、果たして19日に帰ることができるのかと、停滞・迷走する台風とにらめっこ。
 この日も、ドライブ。島最北端の平久保崎や玉取崎といった景勝地に行き、昼は石垣牛を使ったハンバーガー。絶品でした。午後に「9条の会」の会合があるとのことで、石垣市街地に出ましたが、会合はすでに終わっていました(残念)。でも、知り合った現地の9条の会の方の紹介で、大阪で共産党の小選挙区候補もされたのち、現役を退いてから石垣島へ移住され9条の会などでご活躍の藤井幸子さんと電話で教科書問題の動向などのお話を聞くことができました。その後、市街地で少し買い物をして、宿に戻りました。
ハンバーガーを頬張る長男
 明石は、東の海(太平洋)と西の海(東シナ海)との間が750メートルしかなく(その南の伊原間(いばるま)はさらに狭い250メートル)、朝日と夕日が、海からのぼり、海へと沈むのがみれます。女将さんから聞いた特別スポット(牧場の鉄柵をあけて入って山道を登りきったところで、パラグライダーのテイクオフ場になっているところ)まで出かけましたが、あいにくの曇り空でした。

○18日
校庭にならんだデコレーション
 この日は、地元、明石小学校・幼稚園の運動会ということで、一家そろって参加しました。
 最初のラジオ体操をしていると、妻が不審な動きを…。何かと思えば、先生の一人が、何と大学時代の同級生だというではありませんか。なんという偶然。
校歌ダンスを踊る息子たち
 児童・生徒19人の小さな学校です。地域の住民のみなさんも総出で準備からがんばって盛り立てていました。種目のなかにも、公民館対抗など、地域の人の出番もたくさんありました。私たちも6種目に出場しました(子どもらは、かけっこに、マルモリダンス、校歌ダンスなどに出場)。地域の人以外で参加していたのは、妻の友人である先生のお母様と妹さんと、私たちの家族ぐらいだったようですが、なかなか面白かったです。子どもたちのエイサーもかっこよかった!昼は、有名な明石食堂のそば。
 夕方の公民館横広場での打ち上げにも顔を出し、夜には、妻の友人が宿まで来てくれ、ゆんたくと唄・三線、宿のお父さんの横笛と大いに盛り上がりました。

○19日
 この日、いよいよ帰る日です。朝から大雨でしたが飛行機は無事飛ぶ様子。
 レンタカーを返却して、空港まで送迎してもらおうとすると、レンタカー屋のご主人「ん~、もうそのまま空港まで乗って行って」と。
 私が「車のキーなど、どうするんですか」と聞けば、「鍵はつけたまま、ドアもロックしないで、放っておいて。後で取りに行くから」というから驚きです。
 「大丈夫ですか」と聞いても、「最近は、自転車ドロボーはいても、車ドロボーはいないから大丈夫」だそうです。
 かなりな「八重山ルール」に、思わず笑ってしまいました。
 と、まあこんな顛末で、神戸まで帰ってきました。子どもらが、体調を崩さず、元気でいたのが何よりでした。