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 今日は、午前中、東大阪まで出かけて、ご当地のママ・パパネット主催のカフェ(つどい)に参加しました。
 昼前にこの会場を後にして、電車に飛び乗り、午後からの兵庫4区演説会に滑り込み。宮本たけし衆院議員を招いての演説会で訴えました。
 ここのところ、更新が滞っていましたが、明日(日曜日)におこなわれる尼崎の演説会の案内活動などもかねて、今週は、主に尼崎で、庄本えつこ衆院兵庫8区予定候補とともに訪問や街頭宣伝にとりくみました。
 ママ・パパネットカフェは、妊婦さんから上は高校生の子どもをもつお父さん、お母さん方が、15人ほど集まってくださいました。
 「教育は、強制ではなく、子どもの知的探究心に働きかけ、分かる喜びをつちかっていくという話は、今年小学校に入学したわが子を見ていて本当にそうだと思う」
 「原発の問題を子どもから聞かれたらどう答えますか」
 「『しんぶん赤旗』と『読売新聞』の両方を読んでいるが、『読売』は本当に金もうけのことしか考えていないような記事ばかり」
 「勤め先と取引関係にある中小企業が、原発関連の仕事がなくなって大変そう」(この問題では、自然エネルギーの開発・普及は、中小企業の仕事おこしにもなるし、地域での産業と雇用創出につながることを私からお話しました)
 「原発はなくさないと子どもを産めないし、親としての責任を果たせない」
 「『君が代』を歌いたくない人や『日の丸』が嫌いな人は、オリンピックの金メダルなどで『君が代』を斉唱したり、ウエアに日の丸がついているのはどうするの?」(この点については、スポーツで『日本がんばれ』と応援するように、『愛国心』というものは、自発的にわきおこるものであって、強制することが間違っていることをお話しました)
 など、時間ギリギリまで真剣な議論に。みなさんの問題意識に大いに学ばされ、刺激になりました。

 私が最初にお話した中で、大阪の橋下徹氏及び「維新の会」の問題についてお話した部分と、最後に訴えた部分を以下に掲載しておきます。

《はじめのお話の“橋下・大阪維新の会”について述べた部分》
 政治の姿勢を変えれば、国の政治もこういう明るい方向が見えてきます。でも政権交代しても、ここが変わらなかった。結局、カギになるのは、アメリカ言いなり、財界中心の政治を正すことができるかどうかです。企業・団体献金をいっさい受け取らない共産党だからこそ、財界にきちんとモノがいえるし、アメリカ言いなり政治のおおもとにある日米安保条約をなくして、本当の対等・平等の日米関係を展望する党だからこそ、アメリカ言いなり政治も正すことができます。
 政治の対決軸は、2大政党の対決=自民か民主かではなく、アメリカ言いなり、財界中心政治の枠内にとどまる自公や民主か、この二つの異常を正す日本共産党かにあります。共産党が伸びてこそ政治は変わるのだと大いに訴えたいと思います。

 ただ、共産党が伸びたら財界などは困るわけです。だから、権力も金の力も総動員して、政治の中身を変えるのではなく、目先を変えた新しい勢力を誕生させ、マスコミも使ってそれらをもてはやして、政治の本当の対決軸を隠してきました。そもそも2大政党づくりも、財界が乗り出して自民党の代わりになる受け皿政党として今の民主党をつくり、小選挙区制を導入し、マニュフェスト選挙を煽ってきました。それがいま、自民も民主もダメと破綻に直面しています。そこでその閉塞感を利用して登場したのが橋下・「維新の会」です。

 今日は、この橋下・「維新の会」3つの危険な重大問題を指摘したいと思います。

 第一は、橋下・「維新の会」で政治は変わるのかという問題です。「維新八策」をみれば、道州制の導入、TPPの推進など、これまで民主党や自民党が掲げてきたものと同じ、財界筋が喜ぶ内容ばかりです。労働市場流動化として使い捨て労働を引き続き蔓延させ、混合診療の解禁など医療にも市場原理の導入をうたう、また憲法9条の改悪や日米同盟が基軸など、これまでの政治と何も変わらないアメリカ・財界べったり政治だと言わなければなりません。

 政策ブレーンの一番中心にいるのが、堺屋太一氏で、この人は自民党の森・小渕内閣の経済企画庁長官を務めた人です。「思想調査」を担当した野村修也弁護士は、小泉元首相とともに「構造改革」をすすめた竹中平蔵氏のもとで金融庁の顧問を務めた人物。まさに、古い自民党政治や財界と直結しています。

 第2に重大なのは、その政治手法。「選挙に勝てば何をしてもいい」とばかりに憲法に違反することを平気で次々とおこなっています。
 その典型が「思想調査」アンケートです。大阪市の幹部や一部労働組合には、ただすべきさまざまな問題があり、共産党は、市役所ぐるみ選挙や「解同」と一体となった乱脈で不公正な同和行政などとたたかってきました。
 しかしだからといって、それらを口実に「特定の政治家の演説を聞きに行ったことがあるか」「誰に頼まれたか」などを答えさせ、答えなかったり、不正確な答えだと処分するということが許されるのでしょうか。公務員であっても、勤務時間外に誰の演説を聞きにいこうが完全に自由なのは当然のことです。だから弁護士会なども思想・良心の自由を踏みにじるものだと厳しく批判、府労委も、橋下市長に対して、異例のスピードで是正勧告をおこないました。

 しかも重大なのは、「誰から誘われたか」と問い、一般市民の名前まで市職員を通じて密告させるものとなっていることです。国民全体に対して、役所を通じて監視の網の目を張り巡らせようというものであり、まるで戦前の日本にあった特高警察を思わせます。

 また橋下氏がアンケート調査を強行する根拠にしたのが、市議会で「維新の会」がとりあげた大阪交通労組の「リスト」問題でしたが、これが捏造だったことが明らかになりました。それでも謝罪するどころか、開き直っています。
 「思想調査」問題でも、世論におされて、ついに公表することはできなくなり、廃棄に追い込まれましたが、いっさい反省はなく、開き直りに終始しています。こういうやり方こそが、「独裁」なのではないでしょうか。

 ですから、橋下氏の政治というのは、古い自民党政治を「独裁」的にすすめようという大変危険な流れであることが、この間、浮き彫りになったのではないでしょうか。

 第3には、いわゆる2条例の問題、とりわけこうした政治のもとで教育がどう変えられようとしているのかという点です。
 多くの批判を前に「教育基本条例案」の「教育理念」にあった、「世界標準で競争力の高い人材を育てる」など、あからさまに徹底した競争主義と、財界のための「人材」づくりがうたわれていた項目はなくなっていますが、本質は変わっていません。
 大阪府教育行政基本条例では、「グローバル化の進展など、これからの大きく変化する社会経済情勢や国際社会の中で」、「自立した大人になっていけるよう(つまりは自己責任で)」(前文)、「保護者及び地域住民その他の関係者のニーズを踏まえつつ(「その他の関係者」はとらえようでは財界筋の人も「関係者」になれます)」(第一条目的)、「知事が、基本計画の案を作成する」(第4条)。そして、「入学を志願する者の数が3年連続して定員に満たない高等学校で、その後も改善する見込みがないと認められるものは、再編整備の対象とする」(「府立学校条例」)と、子どもも学校も競争に追いたてようというものです。
 しかし、子どもたちと学校を、徹底した競争に追い立てることで、本当の学力が育つのでしょうか。

 学校選択制と全国学力テストの組み合わせは、イギリスのサッチャー政権が20数年前にはじめたものの、平均点が高い学校に人気が集中して、周辺の地価が上がるなど、結局裕福な層しか通えなくなるなど教育格差が拡大しました。08年の下院議会の報告は“テスト対策で教育がゆがんだ”と指摘しました。ですからイギリスではすでに4つの地方のうち3つで全国学力テストは中止になっています。
 こういうやり方では、本当の学力は決して育ちません。こういうやり方は逆に、子どもたちの心に深い傷をつくり、発達を損なってしまいます。そのことは、国連・子どもの権利委員会から3度にわたって、日本の競争教育はあまりに過度で異常だ、いじめや不登校などさまざまな発達障害を子どもたちにもたらしていると批判され、是正を求められていることからも明らかです。

 本当の学力というのは、子どもたちを競争に追い立てることからは生まれません。子どもたちの知的探究心に働きかけ、「わかる喜び」を伝えていく、そういう人間と人間の営みのなかからこそ、本当の学力は育っていきます。

 さらに重大な大問題は、教員を命令どおりに動くロボットのような存在にすることです。
 知事が決める「教育目標」にそくして、校長が公募で選ばれ、教職員は校長の命令への“絶対服従”を迫られます。なぜなら、同じ命令に3回違反すればクビにされるからです。

 こうした事態が考えられるのは入学式などでの「君が代」強制でしょう。この問題で1月に、重すぎる処分は違法とする最高裁判決が確定しました。東京都教育委員会の起立斉唱命令違反に、1回目の戒告は認められてしまいましたが、2回目(減給1ヶ月)、3回目(減給6ヶ月)、4回目で(停職)と処分を重くしたことが、職権乱用で違法と判断されました。
 「君が代」への態度は、戦前の侵略戦争と関係しているだけに、個人の歴史観の問題です。体罰やセクハラなどとは次元が違うというわけです。ところが学校式典は、入学式と卒業式の年に最低2回あります。違反のたびに処分を重くして短期間に不利益になるのはあまりにも不合理というのが判決の趣旨です。大阪の3回でクビというのは、1年ちょっとでクビになってしまうというもので、東京の例をはるかに上回る重い処分で違法性は明らかです。

 こうなれば、教師たちは、一人ひとりの子どもたちと向きあい、その悩みに心を寄せ、成長を喜ぶというよりは、知事や市長の顔色をうかがい、なんでも言いなりになるロボットとされてしまうでしょう。今日の報道によれば、橋下市長はまさに「私の顔色をうかがえ」と発言したそうですが、評価する人の顔色ばかりうかがう教師を、子どもたちが信頼するでしょうか。こうなってしまえば、その最大の被害者は子どもたちです。

 1976年の「全国学力テスト最高裁判決」は、「教師は公権力によって特定の意見のみを教育することを強制されない」「教育は教師と子どもとの人格的接触により、個性に応じておこなわれるものだから、教育の具体的内容・方法についてある程度の自由裁量をもたないといけない」とし、国家的介入についても「できるだけ抑制的」であるべきだとしました。それは「政党政治の多数決原理による国政上の意思決定では、教育に政治的影響が深く入り込む危険がある」とされたからです。
 選挙に勝ちさえすれば、それが「民意」だといって、知事や市長が権力を振りかざして学校に乱暴に介入するということは、絶対にやってはならないのです。学校はあくまで自由でなくてはなりません。そういう場でこそ、教師と子どもとの人格的接触が可能になるのであり、子どもの成長も発達も可能になるのです。

 教育は、あれこれの「国策」に役立つ「人材」をつくることを目的にしてはなりません。教育はただひたすらに、一人ひとりの子どもたちの主権者としての「人格の完成」をめざしておこなわれるべきであって、将来の社会のあり方は、そのような教育によって成長した未来の世代にゆだねる――これが今の憲法にたった教育のあり方です。
 憲法に違反する教育への介入を絶対に許すわけにはいきません。

最後の発言
 今日、いろいろと話題になった原発にせよ、「維新の会」や教育の問題にせよ、またお話した消費税の問題にせよ、国民のたたかいが世論に変化をおこし、社会を動かしています。
 特に、橋下・維新の会の問題は、マスコミもあげて、橋下氏をもちあげるなかで、橋下氏らの策動を許さない大阪府民の共同の力が、大阪市議会では2条例案を継続審議にとどまらせたり、「思想調査」アンケートの廃棄に追い込んでいます。

 作家の赤川次郎氏が、12日付「朝日新聞」「声」欄に、「価値観押しつけるな」と橋下批判の投稿したそうです。「生徒のためのものであるはずの卒業式で、管理職が教師の口元を監視する。何と醜悪な光景だろう!」と嘆き、そして、橋下氏がかつて「独裁」の必要性に言及したことに触れ、「なるほど『密告の奨励』は独裁政治につきものである」と続けています。また橋下氏が文楽協会への補助金を削減した問題でも、「客の数だけを比べるのはベートーヴェンとAKBを同列にするのと同じだ」として、「理解力不足を棚に上げ、自分の価値観を押し付けるのは、『力強い指導力』などとは全く別物である」と評しています。そして、「過去に学ぶ謙虚さを持ち合わせない人間」に未来を託することは、地図もガイドもなしで初めて登山することと同じだとした上で、「一つ違うのは、遭難するとき、他のすべての人々を道連れにするということである」と結んでいます。
 ただ、この赤川氏の「声」は東京版であり、同日の朝日新聞大阪本社版の「声」欄には載っていない(後で調べると14日付に掲載されていました)。

 昨年の3・11を契機に多くの国民が真剣にこの国のあり方を考え、今日も話にあったように原発問題をはじめ、共産党の主張にこそ政治の真実があるのではないかという注目が寄せられるなど、わかりやすい状況生まれている一方で、いま民主もダメ、自民もダメという閉塞感から、マスコミも動員をして、国民の支持が共産党に向かないようなさまざまな力学が働いています。そのなかで、橋下氏のような危険な流れも生まれていますが、この点でもたたかいで押し返したりと、まさにせめぎあいの真っ只中にあります。

 日本共産党は党をつくって今年で90年です。戦前には命がけで侵略戦争反対と主権在民の旗を掲げて不屈にがんばりぬきました。そのことが、戦後、憲法に実を結び、作家のいわさきちひろさんなどは、戦争直後に、「あの戦争に反対した党があったのか」と感動して入党しました。
 いま、平和と民主主義を守って90年たたかいぬいてきた党、なによりも、いまの閉塞状況のおおもとにある「2つの異常」をただし、政治の行き詰まりを打破する展望を示す唯一の党、日本共産党を、今度の選挙で大きく伸ばしていただくことが、橋下氏らのような野望を打ち砕き、本当に明るい未来を切り開くことにもなります。そのためにもぜひ「しんぶん赤旗」をお読みいただくとともに、共産党の仲間に加わってください。よろしくお願いします。