今日で、東日本大震災から2年となります。
 あらためて犠牲になられたすべての方々、ご遺族に心から哀悼の意を表します。
 昨日は「あれから2年」集会が神戸で開催され、私も参加しました。
 集会には、福島県郡山市から避難をされている方も参加され、スピーチ。
 はじめ郡山からと聞いて、被害のひどかった「浜通り」ではない「中通り」の地域からの避難なので、どうした事情かと思い、話を聞いていると、その方のお孫さんが通う小学校が、市内唯一、文部科学省が当時「基準」としていた「年間20ミリシーベルト」を超える被ばくの危険がある学校だったそうです。

 そのことが判明して、県教育委員会や文部科学省の役人らが来て説明がおこなわれたそうですが、ある学者が「放射線でDNAは壊れますが、また直ります」と言ったり、会場から保護者が独自に放射線量を測ると発表よりさらに多い数値が検出されたことを質すと「なぜガイガーカウンターを持っているんだ」と政府担当者が“逆ギレ”したなど、本当にひどい対応だったそうです。

 この方は、あるときお孫さんが鼻血を出すようになったことをきっかけに避難を決意したといいます。

 「30キロ圏外に住んでいても、新たにガンになっている人はたくさんいるが報道されない」「いまの福島は、レントゲン室にずっとこもっているような状態。レントゲン室では食事をしたり、寝たりしません。被ばくを避けるために法規制されているんです。いまの福島は国自身が法を違反している状態」「子どもらを守るために何とかしたい」と発言。

 まだまだ先の見えない「復興」。政治の責任を果たさせることや、ボランティアなどの支援も含め(この3月から冬期中断していた党兵庫県委員会としてのボランティア派遣を再開します)、力を尽くしていきたいと思います。