百田尚樹氏の『永遠の0』について思うところをフェイスブックに書いたところ、何人かの方にシェアしていただきました。こちらにも掲載しておこうと思います。
 いま何かと話題(お騒がせ?)な、百田尚樹氏の『永遠の0』を読みました。

 これでもかというほどの戦闘シーンの「リアル」な描写で強調されているのは、いかにゼロ戦や兵士が優秀だったかということ。

 戦争の悲惨さや、若い命を粗末にすることの理不尽さや憤りは表明されているものの、その矛先は、海軍という組織であったり軍指導部で、決してこの戦争が天皇を頂点とした時の権力者が引き起こした侵略戦争だという本質にまで切り込んでは描きません。逆に、ネット右翼がステレオタイプで描くような新聞記者を登場させて、先の戦争への批判を、浅はかな、説得力のないものに描くことで、先の戦争そのものを正面から肯定しなくとも、家族や愛するものを守るためにたたかった尊い犠牲として、美化するものになっています。

 私が一番違和感を感じたのは、戦争描写はこれでもかというくらいに丹念に描いているわりには、人物描写があまりにも薄っぺらいことです。先の新聞記者の描き方もそうですが、ある証言のシーンで、金髪でニート、親にも反発していた証言者の孫が、証言を聞いて、涙し、後に会った時には黒髪できちんとしていた…と。この若者がなぜ変わったのか、いったい証言のどこがこの若者の琴線に触れたのか、心の機微がまったく描かれず、ただこの証言が人の心を「動かす」ものだということを示すために、持ち出されただけとの印象がぬぐえません(その「目的」も、人物描写があまりにも薄っぺらいために成功せずにシラケるものに)。
 ※この点では、物語の一番中軸になる、主人公のおじいさんが、あれほど命を大切にしていたのに、最後に特攻へ行くようになった心境の変化や、最期の出撃でエンジンが不調だった特攻機を、かつて戦場で命を助けってもらったことのある若い兵士と交換することで、自分が犠牲になり、その若い兵士に愛する妻を託す行動なども、「沖縄の人々を見捨てない」とか「先に逝った仲間のもとへ」などの趣旨の記述はありますが、説得力ある合理的な説明にはなっていません(※以降のこの文は、ブログ掲載にあたって書き足しました)。

 結局この「小説」−私はこれはただの戦記もので、小説とは思えませんが−は、あの戦争を美しいものとして描こうとした作者の意図が、結局、作品をも、薄っぺらい、小さなものにしてしまったと感じざるをえませんでした。

 作者の人物像としては、NHK経営委員としての資質が問われる数々の言動(都知事選で自らが応援する人以外の候補を人間のクズ呼ばわりするなど)が示しているので、作品も言わずもがな、ですが、そうした先入観なしに、作品のみから読み解いても、「あ〜しょうもな」と思ってしまった次第です。